北陸街道(富山市)を歩いてみた!②岩瀬

 

富山市内の岩瀬の北陸街道を歩いてみた。北陸街道は射水市の手崎で富山城下を経由して水橋に行く道と東岩瀬を経由して水橋に行く道がありますが、その東岩瀬経由の北陸街道に行ってみた。

◯スタート地点はここ。東岩瀬駅の西になりますが、いずれにしても工場に阻まれている。

f:id:BorderCollieLeon:20210613163607j:image

振り返り北を向くとこんな感じです。

f:id:BorderCollieLeon:20210613163706j:image

 

◯北へ

だんだんと街道風情が出てきました。

f:id:BorderCollieLeon:20210613163844j:image

 

◯クランク

クランクがあります。ここから 大町、新川町の街並みです。

f:id:BorderCollieLeon:20210613164323j:image

 

◯杉玉

満寿泉さんの杉玉。立派ですね。

f:id:BorderCollieLeon:20210613164753j:image

 

◯森家・馬場家

廻船問屋の森家と馬場家。両方共通の観覧券は180円ととても良心的。

f:id:BorderCollieLeon:20210613165012j:image

馬場家の広間と土間。馬場家は令和3年1月に一般公開されましたが、見る価値あります!

f:id:BorderCollieLeon:20210613165325j:image

f:id:BorderCollieLeon:20210613165447j:image

 

◯北へ

f:id:BorderCollieLeon:20210613165723j:image

分かれ道に出ますが、松月さんのある道ではない方が、北陸街道ではないでしょうか(間違えていたらごめんなさい)。赤色に塗装された大漁橋を渡るとこんな感じです。

f:id:BorderCollieLeon:20210613170046j:image

 

岩瀬浜

岩瀬浜駅に出ます。北陸街道は西に向かいます。

f:id:BorderCollieLeon:20210613170251j:image

途中に義経鎧掛けの松の説明板があります。

f:id:BorderCollieLeon:20210613170456j:image

 

◯松並木

立派な松並木が続きます。

f:id:BorderCollieLeon:20210613170620j:image

海岸通の交差点。まだ先に松並木が見えますが今日はここまで。

f:id:BorderCollieLeon:20210613171200j:image

 

はい。ということで東岩瀬の北陸街道を歩いてみました。岩瀬の街並みは素敵ですね。また来たいと思いました。

北陸街道(富山市)を歩いてみた!呉羽山越え

富山市の北陸街道呉羽山越えを歩いてみたいと思い呉羽丘陵多目的広場からスタート。追分茶屋まで目指した!

呉羽丘陵多目的広場

f:id:BorderCollieLeon:20210613091246j:image

北陸街道は赤茶色の道になります。左手に見えるのは足立塚。富山藩の柔術の元祖の石碑とのこと。

 

◯明神峠に向かう北陸街道

今回の最大の楽しみは明神峠に向かう山道。下調べした『旧北陸街道を歩く』(「旧北陸街道を歩く」実行委員会)で素敵な山道の写真があり、ここ歩いたら楽しいに違いないと思ってきましたが、何と工事してた!

f:id:BorderCollieLeon:20210613092317j:image

お願い申し上げます。元どおりに北陸街道復元してくださいね!

 

◯七面堂

仕方ないので気を取り直し、県道44号線の上がり口から七面堂までは行けたので行ってみた。

f:id:BorderCollieLeon:20210613092709j:imagef:id:BorderCollieLeon:20210613092715j:image

 

◯明神峠

工事していていけないので呉羽丘陵の反対側に回り込み明神峠。地蔵堂はあるが『旧北陸街道を歩く』に載っている写真とまるで風景が違う。f:id:BorderCollieLeon:20210613093112j:image

峠を越えると峠茶屋、中茶屋、追分茶屋の三茶屋の村が続き、茶の産地で茶店が並んでいたとのことです。

 

◯明治新道との分かれ道

明神峠から西に下り明治新道との分かれ道に出ます。明治新道は明治天皇の北陸巡行の際に新設された道とのこと。写真右が明神峠から降りてくる北陸街道。左が明治新道。

f:id:BorderCollieLeon:20210613094029j:image

 

明治天皇御小休所

明治天皇が小憩されたのがここ。

f:id:BorderCollieLeon:20210613094318j:image

 

◯追分茶屋の三又路

さらに西に歩くと追分茶屋の三又路に出ます。まっすぐ西に行くのが巡見上使道。古代からの北陸街道はまっすぐ西とのことですが、北に入るのが、江戸期の北陸街道。

追分茶屋には道標が3つ残り、そのうちのひとつです。

f:id:BorderCollieLeon:20210613095126j:image

道標のある神明社前から北陸街道をのぞむ。

f:id:BorderCollieLeon:20210613095248j:image

 

はい。ということで呉羽丘陵多目的広場から追分茶屋まで歩いてみた!明神峠が工事していたのは残念至極でしたが、いつの日か風光明媚な呉羽山越えの道に戻っていると信じてまた来たいと思います。

 

◯白鳥城

呉羽丘陵にある佐々成政攻めのための豊臣方の白鳥城にも歩いて行ってみた。遠くに富山城が見えます!

f:id:BorderCollieLeon:20210613100102j:image

東海道(豊明市)を歩いてみた!

有松宿から熱田七里の渡しまで歩こうかと豊明市桶狭間古戦場伝説地でボーダーコリーとともに降ろしてもらいましたが、そう言えば、阿野一里塚に行ったことがないと思い、予定変更。東に向かい豊明市内の東海道を歩いてみた!

 

桶狭間古戦場伝説地

スタートは豊明市にある桶狭間古戦場伝説地。このところ「おけはざま山」がクローズアップされていて、近くに「おけはざま山」の碑もできたそうですが、また近いうちに行ってみたいと思います。

f:id:BorderCollieLeon:20210102185042j:image

 

◯国道一号線と別れて東に向かいます。

f:id:BorderCollieLeon:20210102172507j:image

広めの道が続きます。

f:id:BorderCollieLeon:20210102174946j:image

 

神明社

一号線向こうに神明社が見えます。

f:id:BorderCollieLeon:20210102175652j:image

 

◯戦人塚

桶狭間の合戦の戦没者を供養した戦人塚。今日は趣旨が違うのでまた行きたいと思いますます。

f:id:BorderCollieLeon:20210102181548j:image

 

◯道標

名鉄前後駅近くに沓掛、祐福寺への分かれ道の道標がありました。豊明は東海道の前後(地名)辺りと鎌倉街道が通る沓掛。二つの中心地から形成されていたんでしょうね。それにしても豊明市教育委員会の案内板が立派!

f:id:BorderCollieLeon:20210102180209j:image

 

◯西雲寺

f:id:BorderCollieLeon:20210102180329j:image

 

◯豊明郵便局

街道あるところに郵便局あり。この辺りが最高比高で26.8メートル。ここから一気に下りです。

f:id:BorderCollieLeon:20210102180435j:image

 

◯阿野一里塚

下ってきたところに一里塚があります。両側の一里塚跡が残っているのはなかなか見ないので貴重ですね。

f:id:BorderCollieLeon:20210102181750j:image

f:id:BorderCollieLeon:20210102185614j:image

しばらく行くとまた国道一号線に合流します。国道一号線を東へ。

f:id:BorderCollieLeon:20210102181944j:image

 

境川

川向こうに刈谷市の看板が見えて、境川を渡れば三河国です。

f:id:BorderCollieLeon:20210102182136j:image

 

はい。ということで豊明市内の東海道をボーダーコリーと歩いてみた!3.7キロメートル。56分で歩きました。名古屋市南区の山崎の長坂みたいに東海道の上がり下がりが堪能できて楽しいです。

 

(番外編)

帰りに沓掛城跡にも立ち寄りました。東海道 境川から沓掛城まで歩いて1時間20分。思いのほか遠い!

f:id:BorderCollieLeon:20210102182752j:image

塩付街道を歩いてみた!中汐田から笠寺一里塚

塩を生産していた鳴海潟、元鳴尾からスタートしようと中汐田の交差点からボーダーコリーと塩付街道を東海道笠寺一里塚まで歩いてみた!

◯スタート地点の国道一号線の中汐田交差点。

f:id:BorderCollieLeon:20201129145237j:image

扇川、天白川を渡る

f:id:BorderCollieLeon:20201129145344j:image

 

◯元鳴尾町

天白川を渡ったところで川沿いに下流に行き、すぐを右に行くと元鳴尾町です。

元鳴尾町には作家の永井荷風ゆかりの西来寺があります。

f:id:BorderCollieLeon:20201129185230j:image

永井荷風の先祖の江戸期の儒学者 永井星渚の生誕地です。
f:id:BorderCollieLeon:20201129185225j:image

若宮八幡宮の前の道を北東に向かいます。

f:id:BorderCollieLeon:20201129185646j:image

 

◯星崎一丁目に向かう

国道一号線のひとつ南側の道を北東に星崎一丁目に向います。

f:id:BorderCollieLeon:20201129185835j:image

 

◯星崎一丁目

星崎の集落。「名古屋市全圖(昭和八年)」では集落東沿いを北に進みますが、集落にも立ち寄ることもあるでしょうから、星崎の集落を巡ります。

風情のある集落の風景が広がります。

f:id:BorderCollieLeon:20210103174438j:image

喚續神社の前は古い道が通っています。

f:id:BorderCollieLeon:20201206172805j:image

常徳寺

f:id:BorderCollieLeon:20201206172858j:image

正行寺の前はクランクが入っています。

f:id:BorderCollieLeon:20201206173318j:image

正行寺から北に進むと地蔵堂があります。

f:id:BorderCollieLeon:20201206173954j:image

星崎一丁目は細い路地が入り組み、昔ながらの風景のある素敵な地域でした。星崎二丁目の交差点を渡り本星崎町に向かいます。

 

本星崎町へ

光照寺東沿いの塩付街道を北上します。塩付街道は写真右の道。

f:id:BorderCollieLeon:20201206174416j:image

石神社

f:id:BorderCollieLeon:20201206174511j:image

名鉄本星崎駅の前を抜けます。

f:id:BorderCollieLeon:20201206174724j:image

 

本星崎

星崎一丁目と同じく「名古屋市全圖(昭和八年)」を見ると本星崎の集落の東側を塩付街道が通っているように見えますが、中井用水緑道を左に折れて塩付街道の始点のひとつと言われる星宮神社に立ちより、本星崎の集落も巡ります。

f:id:BorderCollieLeon:20201206175110j:image

善住寺

f:id:BorderCollieLeon:20201206175247j:image

星崎城跡

笠寺小学校一帯は星崎城跡になります。

f:id:BorderCollieLeon:20201206175404j:image

本城公園に戻り東端の道(写真)を北上しましたが、道のつながりを考えると本城一丁目にかつては別に北上する塩付街道があったように思えます。

f:id:BorderCollieLeon:20201206180156j:image

 

◯笠寺一里塚へ

粕畠貝塚の前を抜けて行きます。写真は天林山小松寺跡。少し東に行ったところで大きな道に出る前で北に入ります。

f:id:BorderCollieLeon:20201206180513j:image

笠寺町の塩付街道を北上。もうすぐ東海道

f:id:BorderCollieLeon:20201206185610j:image

東海道と合流。写真中央の左右の道が東海道名古屋市内の東海道は何度か歩きましたが、ここで塩付街道が合流して来るのは恥ずかしながら知らなかった。

f:id:BorderCollieLeon:20201206180933j:image

合流したところからすぐ西側にゴールの東海道笠寺一里塚があります。

f:id:BorderCollieLeon:20201206181437j:image

はい。ということで中汐田から元鳴尾町⇨星崎⇨本星崎⇨粕畠⇨東海道に合流⇨東海道笠寺一里塚までボーダーコリーと歩いてみた!距離5.2キロメートル。2時間で歩きました。

 

塩付街道を歩いてみた!④高針街道交差地点から古出来

③の続きとなる塩付街道と高針街道交差地点(千種区地下鉄池下駅西)から古出来まで塩付街道をボーダーコリーと歩いてみた!

◯スタート地点の高針街道交差地点

f:id:BorderCollieLeon:20201205160618j:image

北に進み洒落た名古屋セントラルガーデン内を抜けて行きます。結構な人が並んでいるパン屋さんもあったりします。この一帯は少し前の地図を見るとJRの宿舎ですね。

f:id:BorderCollieLeon:20201205153541j:image

名古屋市立東部医療センターにぶつかり一旦、塩付街道は途切れます。

f:id:BorderCollieLeon:20201205154025j:image

◯千種公園

千種公園には空襲を受けた陸軍造兵廠千種製造所にあった塀が移転され残されています。公園内に塩付街道の痕跡はないようです。

f:id:BorderCollieLeon:20201205155250j:image

◯千種公園北側から

千種公園東側や北側には公務員官舎や学校が建ち並んでいますが千種公園を含め戦前の陸軍造兵廠の跡地です。陸軍造兵廠内に塩付街道は残っていたのでしょう。千種公園北側から道が北に続きます。

f:id:BorderCollieLeon:20201205155914j:image

◯古出来

山口街道の古出来に出ます。

f:id:BorderCollieLeon:20201205160046j:image

古出来に出る直前に西に入る道が、これが塩付街道かな。

f:id:BorderCollieLeon:20201205160426j:image

山口街道から北を見るとまだ塩付街道は少し続いているようです。ナゴヤドームはすぐそこだ。

f:id:BorderCollieLeon:20201205161109j:image

はい。ということで塩付街道を高針街道交差地点から古出来まで1.5キロ 35分でボーダーコリーと歩いてみた!

名古屋の東側で土地があり中央線からの引き込み線が作れる塩付街道のある一帯に陸軍造兵廠がつくられ、戦後、官舎や学校の敷地に変貌し、さらに再開発で洒落た街に変化していっています。

塩付街道を歩いてみた!③四観音道分岐点から高針街道交差地点

塩付街道と四観音道分岐点(千種区吹上付近)から高針街道交差地点(千種区地下鉄池下駅西)までボーダーコリーと歩いてみた!

 

◯スタート地点の四観音道分岐点(千種区地下鉄吹上駅南東)

「塩付街道を歩いてみた!②」で記載したように千種区昭和区の境の道をかつての四観音道と想定し、天理教愛町分教会さんの東側の塩付街道からスタート。

f:id:BorderCollieLeon:20201128172955j:image

◯日進通を渡る

日進通を渡るとすぐに馬頭観音があります。

f:id:BorderCollieLeon:20201128173241j:image

◯長い塀

天理教会さんの長い塀と春岡小学校の間を北に進む。

f:id:BorderCollieLeon:20201128173752j:image

◯一畑山薬師寺

一畑山薬師寺の辺りは今は住宅街ですが、かつては山裾を塩付街道は進みます。その尾根筋が四観音道になります。

f:id:BorderCollieLeon:20201128174231j:image

◯池下西交差点、池下駅西交差点

池下西交差点で東山通りを渡り、池下駅西交差点で錦通りを渡るときに東に地下鉄池下駅が大きく見えます。

写真は東山通りの池下西交差点。

f:id:BorderCollieLeon:20201128174644j:image

◯高針街道交差地点

錦通りを渡ってひとつ目の交差点がかつての高針街道との交差地点。

f:id:BorderCollieLeon:20201128175302j:image

交差地点の塩付街道から高針街道を地下鉄池下駅方面に望む。

f:id:BorderCollieLeon:20201128175447j:image

地下鉄池下駅の一本裏道って感じですからにぎやかです。

 

はい。ということで塩付街道を四観音道分岐点から高針街道交差地点までボーダーコリーと歩いてみた!

距離1.3キロ。35分で歩きました!

塩付街道を歩いてみた!②石仏 白山社から四観音道分岐点

「塩付街道を歩いてみた!①」の続きとなる石仏 白山社(昭和区地下鉄御器所駅南東)から四観音道の分岐点(千種区地下鉄吹上駅南東)まで塩付街道を北にボーダーコリーと歩いてみた!

◯スタート地点の石仏 白山社

白山社の西隣りに善昌寺がありますが明治期の地図を見ると北に白山社、南に善昌寺で接して描かれているんですよね。なんでかな?昔の地図の間違いかな?と思っていたんですが、「昭和区の歴史」によると白山社は善昌寺の境内にあったものが神仏分離の関係で東西に移されたそうです。

f:id:BorderCollieLeon:20201125104054j:image

この辺りは街道風情があり良いですね。

f:id:BorderCollieLeon:20201125104121j:image

道に塩付街道の表示があります。

f:id:BorderCollieLeon:20201125104259j:image

お地蔵様があります。

f:id:BorderCollieLeon:20201125104433j:image

ここからちょっと注意。写真右の道に入り西友駐車場西沿いの道を行きます。案内板が欲しいところですね。

f:id:BorderCollieLeon:20201128115502j:image

真っ直ぐ北上する道も「名古屋市全圖(明治四十二年)」には描かれていて飯田街道につながります。"ココイチ"さんのある信号で山王通を渡ったすぐ西に数年前まで日露戦争戦没者碑がありましたが、ビルの建て替えとともになくなってしまいました。写真撮っておけば良かった。

 

◯山王通を渡って

こんな感じで塩付街道が見通せます。

f:id:BorderCollieLeon:20201125194407j:image

少し北上すると現在の塩付通に出て、"なんや"さんのあるYの字の交差点を右側の道を行き、またすぐYの字で分かれ道になるのでここは左の細い道を選びます。わかりにくいですね。塩付街道の案内板が欲しいところです。

Yの字を左に入るとこんな路地のようになります。

f:id:BorderCollieLeon:20201125195135j:image

飯田街道と交差

飯田街道と交差します。左右の道が飯田街道です。飯田街道に面した写真左の駐車場が他の方の論考を読むと昔は馬の蹄鉄屋さんだったとのことです。

f:id:BorderCollieLeon:20201125200040j:image

飯田街道を越えると昭和区千種区の境は他にもっと大きな通りがあるなか、この塩付街道になります。

f:id:BorderCollieLeon:20201128120135j:image

◯安田通を越えて

安田通りを望む。「名古屋市全圖(明治四十二年)」では安田通には尾張電気鉄道が通っており電停が塩付街道に設けられていた。電停から少し北に塩付街道を行ったところが四観音道との分岐点だ。

f:id:BorderCollieLeon:20201128120714j:image

◯四観音道分岐点

千種区昭和区の境の道がかつての四観音道ならここ(写真中央の右に曲がる道が四観音道)。

f:id:BorderCollieLeon:20201128121829j:image

名古屋高速2号東山線のひとつ南の道がかつての四観音道ならここ。

f:id:BorderCollieLeon:20201128122147j:image

名古屋高速2号東山線のひとつ北の道がかつての四観音道ならここ。

f:id:BorderCollieLeon:20201128122329j:image

はい。ということで石仏 白山社から四観音道分岐点までボーダーコリーと歩いてみた!距離は2キロ。30分で歩きました。

安田通にあった尾張電気鉄道の電停から近すぎるのが気になりますが、千種区昭和区の境の道に折れがありこれがかつての四観音道ではないでしょうか?

四観音道と思われる道を塩付街道から望む。

f:id:BorderCollieLeon:20201128130146j:image