塩付街道(名古屋市)を歩いてみた!①富部神社から石仏 白山社
鳴海潟や星崎辺りから塩を運んだ塩付街道。鳴海もしくは元鳴尾、星崎から歩くのが一般的のようですが、富部神社(南区)西の呼続公園南西交差点から石仏村白山社(昭和区地下鉄御器所駅南東)までボーダーコリーと歩いてみた!
◯スタート地点の呼続公園南西交差点
荒浜町、塩屋町を望む。塩付街道はいくつかの出発点があるようですが、ここからでも良いんじゃない。標高1.7メートル。
◯呼続公園
呼続公園南に私有地に付き立入禁止の道が。昔の道じゃない⁉︎
立入禁止なので公園内の道を東へ。
◯富部神社
呼続公園から徒歩数分で標高が12メートルも上がる。
◯東海道と交差
◯環状線を越えて
環状線を越えてはじめは一本東の道かなと思って北に歩き出したが、さらに一本東に神明社さんが見えたのでその道を北上。
秋葉神社にぶつかる。
山崎川につながる小さな用水路?の塩付橋!を渡る。
◯山崎川左岸
山崎川側右岸は土地が低いので左岸に塩付街道はあったんでしょうね。
「名古屋市全圖(昭和八年)」では今の落合橋よりも東に塩付街道があるように見えますので正解は萩山中学校西の道かもしれません。左岸川沿いを行くのではなく、瑞穂スタジアムを東側に回り込むのかもしれません。
どこで右岸に渡ったのかな?右岸に貝塚が出てくる可和奈橋で渡りましたが、他の方の塩付街道のお話を読むと左右田橋で渡るのが正解みたいですね。
瑞穂公園北陸上競技場辺りはかつては大きな池(鼎池)で「名古屋市全圖(昭和八年)」を見ると塩付街道と思われる道が鼎池沿いに西側を回るようになっているが、今はよくわからないので(※)、住宅地を抜けて名古屋女子大高校・中学の北東交差点へ。
※北陸上競技場の西沿いのさらに西にひとつ取り残されたような道があるのでこれが塩付街道の名残かもしれません。また行ってきます。
ところで、山崎川沿いに萩の名所として鼎池の説明板ありますが、かなり前に池は無くなった印象を受けますが、昭和初頭はまだ池あったんじゃん!
説明板横に石碑もありますが「これより東南鼎池地内」と読めますが、現在の場所は鼎池の北の端くらいになりますので、別の場所に元はあったのではないでしょうか?
写真は2017年撮影。
◯名古屋女子大高校・中学北東交差点から北上
名残の松(後日撮影)
◯塩付通を渡る
名残の松を過ぎて現在の塩付通を渡り、塩付通の一本西の道を北上。
ここで塩付通を渡ります。
◯馬頭観音
◯塩付街道説明板
名古屋市立大学病院東沿いには塩付街道の説明板があります。
◯地蔵堂
◯道に塩付街道
名古屋市立大学病院東沿いの道には塩付街道の絵が二箇所あります。
◯藤成通を渡って石仏町へ
◯石仏町 白山社
ゴールの石仏町白山社。
はい。ということで呼続公園南西交差点から石仏村白山社まで5.9キロメートル。80分でボーダーコリーと塩付街道を歩いてみた!