北陸街道(富山県小矢部市、石川県津幡町)を歩いてみた!⑨倶利伽羅峠越え
雪の降る前に歩いて倶利伽羅峠を歩いて越えてみたいと思い、あいの風とやま鉄道石動駅に朝7:05に降り立った。
◯石動駅 7:05
地図を見ると北陸街道は駅の北側から西に抜けていてお寺さんもたくさんあり楽しそうですが、今日はIRいしかわ鉄道津幡駅まで倶利伽羅峠を越えて行きますので何時間くらいかかるのか検討がつかないので(参考に何時にいたかか書いておきますね)、石動駅南から出てスタート地点に設定した野端の交差点に向かいます。駅を出てすぐに倶利伽羅峠の源平合戦のゆかりの地であることをPRしてます。
◯野端交差点7:29
スタート地点に設定した野端交差点です。北陸街道が埴生宿に向かっています。この交差点から逆に北東方向に戻ると砂川を渡りますが、かつては砂川辺りに一里塚があったようです。
◯埴生宿7:33
埴生宿の入り口は大きなこの案内板がありますのですぐにわかります。
埴生宿に入って行きますと街道風情が残る街並みに入ります。
◯護国八幡宮
砺波山一帯に布陣した平家との戦さに先立ち源義仲が戦勝を祈願した八幡宮です。国指定重要文化財です。源義仲の本陣は埴生宿に置かれました。
鳥居をくぐり入っていきますと大きな源義仲像があります。
社殿まで行ってみましたら修繕をされてました。
◯倶利伽羅源平の郷埴生口
小矢部市内から倶利伽羅峠を通り津幡町竹橋に至る北陸街道は国土交通省に歴史街道として選定されていて、案内板や施設があり、埴生口にも護国八幡宮すぐ横に案内施設があります。行ったのが朝早すぎてまだ開館してませんでしたが、北陸街道の案内板がありまして、これを使わせていただきます。
オレンジ色が北陸街道になります。
まずは緑色とオレンジ色(北陸街道)の分かれる地点まで目指します。
◯医王院
かつて北陸街道沿いに置かれていた三十三観音像の一部が保存されているそうです。
◯分かれ道7:57
その分かれる地点がここです。北陸街道は正面に見える坂を上がって行きます。
坂を上がって行きますと砺波平野がきれいに見えます。ニョキと出ているのはクロスランドタワーだと思います。
こんな感じの道が続きます。
◯遊歩道入口 8:15
埴生口の施設の案内板にあった遊歩道入口というのがここです。
正面ではなくて、写真に見える看板まで行くと左に上がる旧道が北陸街道です。
しばらく登り坂が続きます。
◯たるみの茶屋8:25
案内板にあったたるみの茶屋というのがここです。
まだ登りが続きます。
◯峠茶屋8:37
ひらけたと思ったら峠茶屋に出ました。参勤交代の頃から茶屋があり、昭和34年に農家兼茶屋だった方が山から降りて空き地となったそうです。結構広いですし、江戸期は賑やかだったんでしょうね。
◯矢立8:41
源平倶利伽羅合戦の時に源氏方の最前線で、300メートル程離れた平氏方から矢が射られ矢が林のように立ったことから矢立と言うそうです。
矢立で車道に出ます。
車道に出る脇にも矢立の碑があります。
◯一里塚
一里塚があった場所と言われているところに出ます。
◯塔の橋
平氏方の最前線の塔の橋です。
◯砂坂 8:52
北陸街道は車道から分かれて砂坂を上がります。
右の坂が北陸街道になります。
しばらく登りが続来ます。
上りきったところでまた車道に出まして眺望が素晴らしい。
◯倶利伽羅峠 9:07
倶利伽羅峠に出ます。
倶利伽羅峠合戦碑があったり火牛が出迎えたりします。
もともとは小矢部市城山町にあった平為盛の供養のためと言われている為盛塚五輪塔もあります。
サクッと車で来て、北陸街道を感じてみたいということなら、ここを入ると良いです。
倶利伽羅峠のベンチで作ってきたサンドイッチを食べながら20分ほど休憩し、次は津幡町竹橋に向かう下りです。
少し過ぎたところで東海北陸自然道の案内板だったと思うのですが、左 古道2キロ先とありまして、北陸街道ってそっちだったけ?とわかなくなり、近くで作業をされていた方に旧北陸街道はどっちでしょうか?と尋ねたところ、曲がらず道なりに1キロくらい降りて行くと旧北陸街道の入口が左に出てくるよと教えて下さり、道なりに降りて行きました。
◯分かれ道 9:59
それで出てきた北陸街道の入口がここです。歴史国道の赤い矢印看板もあります。津幡町側の北陸街道はこの歴史街道の矢印に沿っていけば行けます。
少し行くとこの先の案内板があります。
◯馬洗い場跡
湧き水を利用して岩場を掘って作った馬洗い場跡です。
◯龍ヶ峰城跡 10:15
天正年間には上杉勢の本陣になり、佐々成政も使用したとされる龍ヶ峰城。主郭から三の曲輪をはじめとした曲輪が北陸街道方向に広がり、街道防備を強く意識した城郭です。恐らく城郭の最盛期の天正期は当時の北陸街道は完全に城内に取り込まれたような構造だったのでしょう。峠を挟んで峠から下がった峠の入口と出口を抑える城はよく見られる支城配置ですが、龍ヶ峰城は典型的な加賀国側の倶利伽羅峠抑えの城郭だと思います。
◯一騎討跡
片側が深い谷、片側が崖が迫り大軍が一気に攻め込めないようにした加賀藩の要所の一騎討跡です。
この先の道はこんな感じてす。
◯前坂
IRいしかわ鉄道倶利伽羅駅方向に出れる車道を横切り北陸街道はまた山中に入り前坂に向かいます。
前坂を下って行きます。
◯竹橋へ
前坂を下り北陸街道は山中に別れを告げて竹橋に向かいます。
◯竹橋宿 10:58
今の竹橋宿はこんな感じです。
竹橋川にかかる竹の橋を渡ります。
この後、北陸街道は左に折れすぐを右に折れます。歴史国道の赤い矢印がありますのでわかりやすいです。北陸街道は道の駅の敷地に入りまして、道の駅倶利伽羅源平の郷では北陸街道や倶利伽羅峠の情報が示されています。今回は見逃してしまいましたが、竹橋宿には地蔵堂がありかつて一里塚があったとのことです。
今回のゴールはここ竹橋交差点。11:16に到着しました。
北陸街道は運動公園からJR七尾線中津幡駅方面に向かいますが、今日はここまで。国道8号線に沿って竹橋交差点からIRいしかわ鉄道津幡駅まで歩きまして津幡駅に12:05に到着。石動駅から丁度5時間かかりました。倶利伽羅峠で休憩したり、護国八幡宮や龍ヶ峰城をみたりしていますが、思ったよりも早く歩け通せました!
源平、天正、江戸期といろいろな時代を感じることができるとても素晴らしい道だと感じました!
北陸街道(金沢市)を歩いてみた!⑧城北大通山の上から大樋口
金沢 卯辰山寺院群を金沢市の観光マップ『心の道』に従い宇多須神社から歩き始めマップでは最後になっている小坂神社まで行ったので、城北大通(浅野大橋から城北大通が基本的に北陸街道なんですが)の山の上の交差点まで出ました。
それがここね。
ちょっと汗をかいたので、飲み物でも買おうと少し北にあるマルエー春日店さんに行こうとしましたら、これが出てきたんですね。
石碑には「旧北國街道」と書いてある。マルエーさんで飲み物買ったら金沢城を見に行こうと思っていたのに、どうしよう。逡巡してやはりここは北陸街道を歩かねばと、急遽、山の上から大樋口まで北陸街道を歩いてみた!
歩き始めるとこんな感じです。
◯義経旧跡鳴和瀧
歩いてましたら、義経旧跡鳴和瀧の碑がありました。ここを入って行くとこの辺りの鳴和の地名の由来となった なるわの滝に行けます。
そのなるわの滝がこれです。
◯養法寺近くを渡ります。
行先はこんな感じです。
◯坂戸米穀店
江戸期後期の建築と推察されると書かれた金沢市指定保存建造物の坂戸米穀店さんです。街道風情を感じさせてくれます。
◯下口の松門跡
しもくちと読みます。津幡方面からの金沢城下町の木戸になります。大名行列はここから城下に入る時に列を正したとのことです。ちなみに京方面の上口の松門跡は泉にあり、また行ってみたいと思います。
◯加賀鶴
創業寛永5年(1628年)のやちや酒造さんです。こちらも雰囲気ありますね。
◯大樋中央
大樋中央の交差点からはこんな感じです。
金腐川に架かる大樋橋を渡ります。
◯大樋口
ゴールの大樋口です。歩いてきた北陸街道を見ています。
はい。ということで急遽、山の上から大樋口まで北陸街道を歩いてみた!ゆっくり歩いて40分くらいです。
北陸街道(魚津市)を歩いてみた!⑦上村木からミラージュランド
富山県にも戦国史を刻んできた出来事がたくさんありますが、やっぱり有名な話は本能寺の変前後の魚津城かなーと思い、今回は魚津市に行き上村木の交差点からミラージュランドまで富山市方向に向かって北陸街道を歩いてみた!
◯上村木
今回は魚津駅から東に行った上村木の交差点からスタート。上村木の交差点に向かう途中に「蜃気楼見たけ?」のフラッグがあります。蜃気楼見たことないです。いつか見たいですねー。
上村木の交差点から行き先の南を向くとこんな感じです。
◯新金屋
道なりに行き、新金屋の交差点は写真の真ん中の道を行きます。
◯金屋郵便局前
あいの風鉄道と富山地方鉄道の高架をくぐると金屋郵便局前に出ます。お店が連なり、町名も細かく分かれてきますのでかつての城下町や宿場町はこの辺りからですかね。
少し行くと右手に魚津神社があります。
◯銀座商店街
北陸街道魚津支店のある交差点を南に折れ鴨川を渡り銀座商店街に入ります。
ここから魚津城を回り込むように北陸街道は続きますが、文章で書いてもわかりにくいので魚津城跡の閉校した大町小学校に地図があったのでこれを使わせてもらいます。黄色の道が北陸街道です。こういう現在の地図に落とし込んだかつての街道や城跡がわかる地図を城跡の説明板に書いてあるのはホント有難いです。毎回下調べして来れるわけではなくて、朝起きていい天気だし、行けば何とかなるでしょ。で行くときもありまして。
◯真成寺
地図にも出てきます真成寺。道に貼られた「旧町名の由来」によると松倉城落城後、天正4年に真成寺は今の地に移転してきたとのこと。
道の反対側には北陸街道の説明板があります。
南に少し進み北陸街道はここを西に右折し海岸の方に向かいます。
「ゆ」の文字が書いてある下田温泉さんが見えたら南に左折します。
右手に海岸線を見ながら北陸街道を南に進みます。
◯照顕寺
北陸街道から少し東に入ったところにある照顕寺に行ってみると魚津城二の丸跡と記されています。
◯御旗屋(大町海岸公園)
北陸街道に戻り、少し南に行くと大町海岸公園が海側に出てきます。加賀藩の参勤交代の際の本陣跡だそうです。
魚津城跡にあります天明5年の『魚津町惣絵図』にも「御旗屋」と書かれています。
この先の地図です。黄色の道が北陸街道です。
◯旧十二銀行
魚津と言えば大正7年の米騒動の発祥地として有名ですが、家で地図で見た時になんでこんな海岸線近くで騒動が始まったのかな〜と思ってましたが、現場に行き北陸街道沿いのにぎやかな地域だったことで納得。
◯明治天皇魚津行在所
法務局のある次の交差点に和洋菓子屋さんがあり、ここを東に曲り、少し行くと明治11年に明治天皇が魚津で泊まられたことを示す碑があります。
◯角川橋
明治天皇魚津行在所の碑から少し東に歩くと交差点に北陸街道を示すものがありますのでここでまた南に向かいます。
角川に架かる角川橋を渡ります。
◯上口から三ケ
角川橋を渡り南に進むとまた北陸街道を示すものがあります。ここを海側に西に入り上口橋から続いて来る道とぶつかったら南に向かうのが正解のような気がしますが、今まで北陸街道で曲がる箇所では北陸街道と書いてあるものが路傍にあったんですが、探し方が悪いのか見つけられなかったです。いずれにせよ角川橋から南に延びる道につながり、上口を過ぎて三ケはこんな感じです。
段々とミラージュランドの観覧車が見えてきます。松尾一さんの『北陸街道紀行』によれば、北陸街道はここでミラージュランドの敷地に入り消えているとのことです。
はい。上村木からミラージュランドまで北陸街道を歩いてみた!結構たくさん曲がる箇所があり、どっちかわからないとか、別の道かもと戻ったりしていましたので、1時間半くらいかかりました。
もちろん魚津城跡にも行ってみました。
◯魚津城跡
閉校した大町小学校、検察庁、裁判所、幼稚園一帯が魚津城跡で大町小学校に碑や説明板などがあります。現在の地図に落とし込んだものがとても分かりやすいです。
織田方に攻められ、天正10年の本能寺の変の翌日6月3日に上杉方が籠もる魚津城は落城しますが、上杉方は短冊形の板に自分の名前を書き記しそれを耳に結えて自刃しました。あと数日耐えていればと思いの馳せる城跡でした。
北陸街道(射水市)を歩いてみた!⑥小杉高校から手崎
地図を見ていて小杉駅北側に広がる北陸街道は曲がり方といい、行ったらきっと楽しいに違いないと思い、今回は小杉高校から手崎まで北陸街道を歩いてみた!
◯小杉高校
スタートの小杉高校。北陸街道は高岡の方へは高校の敷地内に消えています。
振り返り目的の富山方面はこんな感じです。
◯赤壁家
醸造業を営み明治には小杉町長を務めていたそうです。
◯本中町
右(南)を見ると小杉駅が見えます。
歩いていて至るところに北陸街道に関する案内看板があり、とても歩き易いです。ここまであると下調べも要らないです。歩いていたら、奉行所跡の看板が。これは行かなくては!
少し北に入ると奉行所の跡があります。
簡単に言うと加賀藩の呉西の奉行所はここですということ。高岡を先日歩いて来ましたがそう言われると高岡には奉行所跡がないですね。加賀藩の呉西の行政府は小杉なんだ。知らなかった〜。普通、高岡だと思ってしまう。もっとアピールしても良い話しじゃん。
◯加賀藩作食蔵跡
奉行所跡近くには加賀藩作食蔵跡もあります。作食蔵とは耕作期に農民に食糧として貸付けるために米を備蓄した蔵です。
◯クランク
中町にクランクがあります。
◯旧小杉貯金銀行本店
今は射水市小杉展示館として活用されています。
◯鷹寺橋
下条川に架かる鷹寺橋を渡ります。少し下流には船着場があったそうです。
◯小杉郵便局
ん!もしかしたら現役の郵便局か?と思いましたが、本屋さんとアトリエが入居されてました。
近くはこんな感じです。
◯クランク
もうひとつクランクがありました。
街道らしい雰囲気が続きます。
◯手崎
手崎で北陸街道は岩瀬に向かう道と富山に向かう道に分かれます。加賀藩は富山城下を避けて岩瀬に向かう道で参勤交代で江戸を行き来していたそうです。
右が岩瀬に向かう道で左が歩いてきた道です。分岐点には村社の加茂社があります。
道標には「右とやま 左いわせ」と記されています。
はい。ということで小杉高校から手崎まで歩いてみました。1時間くらいで歩けます。
小杉駅を降りてすぐに看板があり
北陸街道のスポットにはどういう建物なのか説明があります。
北陸街道が曲がるところでは北陸街道はこっちとわかりようになっています。
とても歩きやすいです。素晴らしい。また来たいと思います。
北陸街道(高岡市)を歩いてみた!⑤定塚町から坂下町
今回は高岡市内の定塚町から坂下町まで北陸街道を歩いてみた。スタートはここ定塚不動尊。
◯定塚不動尊
写真は富山の方をみています。道の右にあるのが定塚不動尊。
中はきれいにされてて地元の人が大事にされているのが伝わります。
定塚不動尊から大手町の方をみるとこんな感じです。
◯大手町
定塚町の交差点から大手町に入ります。
少し行くと右手に高岡古城公園の森が見えてきます。
◯御旅屋通りへ
高岡大手町郵便局のある交差点で左に折れ御旅屋通りに行きます。
御旅屋通りはこんな感じです。
◯高岡大仏
左手に高岡大仏が出てきました。元々は木造だったんですね。知らなかった。明治期に銅製で再建したとのことで高岡の町衆の方々の心意気が伝わってきます。
◯坂下町へ
高岡大仏のある交差点を右折し坂下町に向かいます。名前のある通り坂を下ります。
下りながら来た道を振り返ると高岡大仏がきれいに見えます。
ここから先の有磯神社までは北陸街道(高岡市)を歩く④で書いてあるのでそちらを見てください。
はい。ということで定塚不動尊から坂下町まで歩いてみた!以前、高岡駅から何となく高岡大仏を訪れた時はなんでここに大仏があるんだろうと考えませんでしたが、北陸街道を歩くと一番良い場所で町を見守っている、あるいは目立つ場所にあるということがよくわかりました!
帰りに関町の総持寺界隈にも行きました。ここも街道風情あふれる素敵な道でした。
北陸街道(高岡市)を歩いてみた!④坂下町から有磯神社前
今回は富山県高岡市内の北陸街道を坂下町から有磯神社前まで歩いてみた!高岡は第二次大戦で空襲を受けていないと思うので風情のある街並みに浸れるのではないかと楽しみにしてきました。
◯坂下町
今日のスタートは万葉線の坂下町駅から。坂下町駅から高岡の大仏様の方角を見ると坂の下でまさに坂下ですね。今回の行き先の西はこんな感じです。
◯小馬出町の交差点を左折し、山町筋へ
山町筋を木舟町、守山町へ向かいます。土蔵造りの町屋がたくさん残っておりホント素敵です。
富山銀行旧本店レンガがとても街に似合います。
◯高岡郵便局の交差点を右折
高岡郵便局の交差点を右折します。交差点のNTT西日本さんのビルのたもとに本陣跡があります。
ほんの少し行くと高峰譲吉博士の生誕地があります。高岡はアルミニウムで産業を興すと良いと言ったとのことでその通りでしたね、
◯通町で左折
富山県の里程元標があります。
◯県道254号を右折します
県道254号に出たところで右折し、北西に向かいます。川巴良神社の辺りは地形的なものでしょうがクランクが入り街道風情があります。
◯千保川 横田橋を渡ります
横田橋を渡ると金屋町の入り口があります。
ちょっと北陸街道から離れ金屋町に行ってみるとこんな感じです。風情満載です。
◯横田郵便局
はい。今回も郵便局ありました。旧街道沿いに郵便局あり。
◯有磯正八幡宮
ゴールの有磯正八幡宮です。ここから北陸街道は倶利伽羅峠に向かって左折します。
有磯正八幡宮の入口に築城様式の石垣があります。高岡の町並みの入口は有磯正八幡宮からだったんだと思います。町の入口に慶長年間の石垣が残っているのは珍しいと思います!
はい。ということで高岡市坂下町から有磯神社まで歩いてみました。古い建物があちこちに残り高岡は良い町ですね。
次回は反対に富山に向かう坂下町から定塚町を歩いてみたいと思います。
ちょっと足を伸ばして23年に渡る平成の大修理を終えた高岡伏木の勝興寺と吉久の町並みもみてきました。
高岡の街中から伏木までは電車です。伏木から吉久までは小矢部川を万葉大橋を歩いて渡りました。暑かったですが行けます。どちらも見応え充分でした。
高岡は一日で見きれないです。また来ます。
雲龍山 勝興寺 唐門
吉久の町並み
北陸街道(富山市)を歩いてみた!③赤江川から飛騨街道分岐点
富山市内の北陸街道を赤江川から飛騨街道分岐点まで歩いてみた。
◯スタート地点はここ赤江川。加賀藩領と富山藩領の境になります。よく高岡は加賀藩だから〜と言いますが、富山市内の赤江川から東は加賀藩じゃん。富山城からすぐじゃん。稲荷公園だって加賀藩じゃん。岩瀬だって加賀藩じゃん。なぜか富山の東側も加賀藩という話は普通話にでないですね。なんでですかね。
地鉄稲荷町駅近くの踏切を渡ります。他の私鉄の古い車両があって面白いです。この前、稲荷町駅に行ったら古い近鉄の車両が止まっていた。
◯筋違橋
地鉄の踏切を渡るとすぐに用水に架かる筋違橋に出ます。ここから富山城下だそうです。
◯稲荷神社
◯於保多神社
◯富山柳町郵便局
街道あるところに郵便局あり。ありました!富山柳町郵便局。
◯北新町
北新町に出たら南に向かいます。写真がないですが、北新町の交差点から来た道を振り返ると旧道(北陸街道)が新道にぶつかるよくある光景です。
◯雪見橋
雪見橋の説明板によれば富山城下で一番大きな橋だったとのこと。
◯中央通り商店街に向かいます。
雪見橋を渡り少し南に行ったら西に斜めに中央通り商店街に行ける道に行きます。
◯中央通り商店街
これまで何度も通りましたが、ここが北陸街道とは知らなかった。
◯総曲輪商店街に行く手前で西町交差点へ。
総曲輪商店街の手前で左に折れ西町交差点に向かいます。中央通り商店街と総曲輪商店街はよく見ると真っ直ぐにつながっていなくて、総曲輪商店街入口が少し右にあります。北陸街道は富山城の外堀を沿うように回り込んでいるで、写真の地点から見えた江戸時代の風景は外堀沿いの城下町か、あるいは外堀が見えていたと思います。
◯西町交差点
西町交差点から西に北陸街道は伸びています。
◯飛騨街道分岐点
西町交差点の今は富山市立図書館本館とガラス美術館が入っているビルの西側の交差点が飛騨街道との分岐点になります。旧飛騨街道起点の新しい碑があります。
はい。ということで富山市内の赤江川から飛騨街道分岐点まで歩いてみました。道中、北陸街道とわかる案内板があるといいなぁと思いました。
ところで富山市立図書館本館はとても素敵な図書館です。立ち寄るだけでも価値があると思います!